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12月, 2023の投稿を表示しています

調子に乗り、努力を怠り、落ちるという常套パターン

最初は人よりうまくいく。 しかし、その時調子に乗りがち。 何もしなくてもいいだろとか思って、努力を忘れる。 その間に他の人は努力をする。 そして、どちらが長期的に成長するかというと、当然努力する人なので、落ちる。 そして落ちると楽しくなくなり、モチベがうせ、努力するのも億劫になる。 失敗する時の常套パターン。

ブログは痛気持ち良い

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価値観を伝える、自己開示のメディアとしてのブログ ブログというメディアに対して、みなさんはどんなイメージをお持ちでしょうか。「日記の延長」「自己満足の世界」「痛々しい自己主張」──そんな負の印象を持たれてしまうことも少なくありません。実際、内面をさらけ出すような文章をネット上に残す行為は、ある意味で恥ずかしく、脆さを露呈することでもあります。書く側としては、自分の価値観を正直に示した結果、批判や中傷を受ける不安は常につきまとうものです。 しかし、だからこそブログには大きな価値があると感じています。それは、個人が自分の「価値観」を他者と共有する場として、また「自己開示」を通じて共感やつながりを生むメディアとしての存在意義です。 人は、自分自身を理解し、表現することで他者と分かち合える土台を築きます。書き手が「これが自分の思いだ」「こういう考えを大切にしている」といったメッセージを言葉にすると、それを受け取る読者は、「あ、この人はこんな風に感じるんだ」と発見し、時に「わかる!」と共感し、時に「なるほど、そんな考え方があるのか」と価値観の幅を広げるきっかけにします。 たとえ、ブログという場で「痛々しい」と感じさせる部分があったとしても、それは同時に、生々しく、赤裸々な「人間らしさ」の証明でもあります。光の当たる部分だけでなく、影の部分や不安定な部分、迷いを抱える中で必死に前へ進もうとする姿勢も含めて、「この人はこんな風に考え、悩み、模索しているんだ」と読者に伝わる。その瞬間に生まれるのは、単なる傍観者と発信者の関係を超えた、心のどこかで通じ合う感覚です。 もちろん、全員が好意的に受け止めてくれるわけではありません。コメント欄には冷たい言葉が投げかけられることもあるかもしれません。それでも、ブログを書くという行為は、自分自身を理解し、外に向かって響かせる試みでもあります。批判を浴びる恐れ以上に、「自分はこんな風に感じるんだ」と言葉にした時の解放感や、ある記事を読んだ誰かが自分の言葉に「助けられた」「気づきを得た」と感じてくれるかもしれない可能性は、小さくない大きな報酬です。 ブログは、独特の自由度と親密さを持っています。文字、画像、時には音声や動画までも取り込むことで、表現は多様になり、発信者と読者の距離はぐっと縮まります。その結果、発信者の価値観や考え方が、画面越しにじわ...

恥ずかしさと罪悪感があった方が生を感じられる。

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  誰しも一度は、自分の中に湧き上がる「恥ずかしさ」や「罪悪感」といった負の感情から逃れたいと思ったことがあるはずです。失敗したとき、誰かを傷つけてしまったとき、あるいは不器用な行為で周囲から冷ややかな目線を浴びたとき——そんなとき、人は心の中で「消えてしまいたい」「恥ずかしくて顔から火が出る」と、追い込まれるような思いをします。  しかし、少し視点を変えてみると、その「恥ずかしさ」や「罪悪感」という感情は、実は人間としてとても大切な“スパイス”なのかもしれません。なぜなら、その負の感情が、私たちが「生きている」という実感へとつながることがあるからです。 負の感情は「生」のトリガーになる  喜びや安心感は、もちろん人生を豊かにします。それがないと潤いのない生活になってしまうでしょう。しかし、ずっと居心地の良い場所でぬるま湯に浸かり続けていると、自分自身が本当に動いているのか、ただ惰性で過ごしているのか、分からなくなってしまうこともあります。「変化がない」という状態はある意味、生命力を感じにくい状態とも言えるかもしれません。  その点、恥ずかしさや罪悪感は、私たちの心と体に“刺激”を与えます。バクバクと脈打つ心臓、こみ上げる熱、頭に浮かぶ「どうしてこんなことをしてしまったんだろう」という反省や後悔。それらはすべて「あなたがここにいる」「あなたが生きている」ことを証明するサインです。 成長のきっかけを見逃さない  恥ずかしい経験や罪悪感を覚える行為は、多くの場合、私たちに何らかの学びを与えます。「このやり方は間違っていたかもしれない」「次はもう少し配慮しよう」「自分の言葉選びは適切だったか?」——こうした問いが自分自身へのフィードバックとなり、次へのステップを踏み出す原動力になります。  もしも常に完璧で、恥ずべきことが一切なく、罪悪感を抱く経験もないような人生があったとしたら、その人は恐らく新しい道や挑戦に踏み込んでいない可能性が高いでしょう。なぜなら、挑戦は常に失敗や試行錯誤、そして「あちゃー」と頭を抱える瞬間を伴うからです。 本当の「快感」は振り幅から生まれる  人生の快感や幸福感は、感情の振り幅があるからこそ強く感じられます。落ち込んだあとに回復するからこそ、晴れやかな気持ちがいっそう心地良いものになるのと同じです。「恥ずかしさ」と「罪悪感」は、その振り...